山田辰夫
July 29, 2009
電話でお通夜
「俺、・・・オレオレ詐欺です」と昨夜、酔っ払った友人から電話があった。
・・・そっか。
俳優の山田辰夫さんが亡くなったから・・・。
マイケル・ジャクソン、清志郎といい、私たちが若い頃影響を受けた方々が、
少しづつ時間を早めて違う場所に旅立っている気がする。
山田辰夫さんは、この前「おくりびと」で久しぶりに観た。
でも、彼と言えば、知る人ぞ知る『狂い咲きサンダーロード』という
今の若い方々は知らないでしょうが、
当時一部の熱狂的な映画ファンに衝撃を与えたカルトムービー
で主演デビューをし、新人賞などをとった俳優さん。
20年前、東京にいた私は、その彼にとにかく観ろ!と言われ・・・
・・・不良少年たちの抗争の話。
低予算で、画面も荒く、台詞も聞こえづらく、
私にはハチャメチャに見えた。
でもエネルギッシュで、時折ハッとするようなかっこいいシーンがあった。
なにより音楽がしびれる・・・曲はパンタと泉谷しげる。
こんな人たちがいるんだ・・・。
それは私にとって衝撃的で、しばらく聴き続けた記憶がある。
『狂い咲きサンダーロード』は彼の青春・・・だったらしい・・・。
その頃の思い出話が止まらない・・・
酔ってオヤジみたいにグダグダとごめんね〜・・・
と言いながら、止まらない・・・。
でも、聞いててイヤじゃない。素敵だなぁと思った。
亡くなった時に、その人との素敵な思い出がいっぱいあるって、いいですよね。
最近、ヨガに夢中で20年前の自分のことなんか、すっかり忘れていたが、
急に何か大切なものを思い出したような気持ちになった。
先日、ヨガの哲学の講義でも、「死」についての考察があった。
死について考えると、人生について新しい考え方がおこる。
私たちは普段あまり重要でないものを追い求めて、
一番優先するものを忘れて人生を過ごしている。
死を近くに感じると、自分にとって何が大事かを考えさせられる・・・
とカルロス氏はおっしゃっていた。
赤ちゃんがお腹の中で魂を宿すとき、
私たちは、究極的にはひとつであるという、意識も受け取る。
それは、自分という個人を超えたところにある
自分と他人、男と女など、相対的、対極的な概念のない、
最高位の意識、すべては喜びである,すべては楽しみであるという意識。
それをサンスクリット語で『ソー・ハム』と言います。
私はそれである。 私はその意識である。
『 I am that 』
インドでは吸う息がソーと聞こえ、
吐く息がハムと聞こえるという意味でも
呼吸するだけで自分が宇宙の一部だと思い出すように
マントラとしても使われます。
子宮の中では、ソーハム・・・私は最高位の意識です、
と憶えている。
でも誕生するときに忘れて泣く。
その赤ちゃんの声は、インドでは、『コー・ハム』と聞こえるそうです。
『コー・ハム』 サンスクリット語で、私は誰?
『私は誰? 私は誰?』と言って泣く。
そして自分自身が誰なのか?
自分自身を再発見する、人生という名の旅に出る。
いつも人生がただ楽しかったり、喜びであったりするわけじゃなく、
自分自身を再発見することこそが、
本当の楽しみ。本当の喜び。
山田辰夫さんは、早くに俳優という自分の喜びを見つけ、
全うしてこられたのではないでしょうか。
早すぎる・・・という言葉はいつも付き物ですが、
寿命は、
よく頑張ったね、もう休んでいいよ。
と言われたということでもあると思いたい。
そういう意味では、生きている私たちは、
まだまだやることが残っているから、生かされているのか・・・。
「二人で冥福を祈ろうよ・・・お前も酒飲めよ!」
おーおー、だんだん絡んできた・・・そろそろ切ろう・・
「おくりびと」、短い場面だったけどいい演技してましたね。
印象に残ってます。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
・・・そっか。
俳優の山田辰夫さんが亡くなったから・・・。
マイケル・ジャクソン、清志郎といい、私たちが若い頃影響を受けた方々が、
少しづつ時間を早めて違う場所に旅立っている気がする。
山田辰夫さんは、この前「おくりびと」で久しぶりに観た。
でも、彼と言えば、知る人ぞ知る『狂い咲きサンダーロード』という
今の若い方々は知らないでしょうが、
当時一部の熱狂的な映画ファンに衝撃を与えたカルトムービー
で主演デビューをし、新人賞などをとった俳優さん。
20年前、東京にいた私は、その彼にとにかく観ろ!と言われ・・・
・・・不良少年たちの抗争の話。
低予算で、画面も荒く、台詞も聞こえづらく、
私にはハチャメチャに見えた。
でもエネルギッシュで、時折ハッとするようなかっこいいシーンがあった。
なにより音楽がしびれる・・・曲はパンタと泉谷しげる。
こんな人たちがいるんだ・・・。
それは私にとって衝撃的で、しばらく聴き続けた記憶がある。
『狂い咲きサンダーロード』は彼の青春・・・だったらしい・・・。
その頃の思い出話が止まらない・・・
酔ってオヤジみたいにグダグダとごめんね〜・・・
と言いながら、止まらない・・・。
でも、聞いててイヤじゃない。素敵だなぁと思った。
亡くなった時に、その人との素敵な思い出がいっぱいあるって、いいですよね。
最近、ヨガに夢中で20年前の自分のことなんか、すっかり忘れていたが、
急に何か大切なものを思い出したような気持ちになった。
先日、ヨガの哲学の講義でも、「死」についての考察があった。
死について考えると、人生について新しい考え方がおこる。
私たちは普段あまり重要でないものを追い求めて、
一番優先するものを忘れて人生を過ごしている。
死を近くに感じると、自分にとって何が大事かを考えさせられる・・・
とカルロス氏はおっしゃっていた。
赤ちゃんがお腹の中で魂を宿すとき、
私たちは、究極的にはひとつであるという、意識も受け取る。
それは、自分という個人を超えたところにある
自分と他人、男と女など、相対的、対極的な概念のない、
最高位の意識、すべては喜びである,すべては楽しみであるという意識。
それをサンスクリット語で『ソー・ハム』と言います。
私はそれである。 私はその意識である。
『 I am that 』
インドでは吸う息がソーと聞こえ、
吐く息がハムと聞こえるという意味でも
呼吸するだけで自分が宇宙の一部だと思い出すように
マントラとしても使われます。
子宮の中では、ソーハム・・・私は最高位の意識です、
と憶えている。
でも誕生するときに忘れて泣く。
その赤ちゃんの声は、インドでは、『コー・ハム』と聞こえるそうです。
『コー・ハム』 サンスクリット語で、私は誰?
『私は誰? 私は誰?』と言って泣く。
そして自分自身が誰なのか?
自分自身を再発見する、人生という名の旅に出る。
いつも人生がただ楽しかったり、喜びであったりするわけじゃなく、
自分自身を再発見することこそが、
本当の楽しみ。本当の喜び。
山田辰夫さんは、早くに俳優という自分の喜びを見つけ、
全うしてこられたのではないでしょうか。
早すぎる・・・という言葉はいつも付き物ですが、
寿命は、
よく頑張ったね、もう休んでいいよ。
と言われたということでもあると思いたい。
そういう意味では、生きている私たちは、
まだまだやることが残っているから、生かされているのか・・・。
「二人で冥福を祈ろうよ・・・お前も酒飲めよ!」
おーおー、だんだん絡んできた・・・そろそろ切ろう・・
「おくりびと」、短い場面だったけどいい演技してましたね。
印象に残ってます。
心から、ご冥福をお祈りいたします。