大槌町

March 13, 2012

跡地はまるでお墓のよう・・・

昨日、大槌町から帰ってきた濱ちゃんから
メールと写真が届きました。

一年後のあの時のあの場所。

濱ちゃんの御祖母様、御母様はまだ行方不明ですが、
黒いものが間近に迫っていたときに
家の前にいた姿を目撃されています。

濱ちゃんのご実家の写真。
降っている雪まで写っている、
とっても寂しい写真でした。

一年後の同じ瞬間。

貴重だと・・・ちゃんと受けとめたいと思った。

一年という時間の区切りにどんな意味があるのかはわかりません。

自分の中では正直、何かがもう薄れていたことへの後ろめたさから、
意味を見つけようとしているだけなのか。

ほとんど前と変わらぬ生活に戻っている後ろめたさ・・・。

だからなのか写真を見たとき、何かを感じて・・・
ありきたりだけど、
忘れちゃいけないなと思いました。

濱ちゃんにブログに載せていいか聞いたら

「3/11の被災地、跡地がお墓になっている状況が伝われば…。」

と返事がありました。


跡地がお墓になっている状況・・・。



以下はもらったメールの抜粋と写真です。

実家













沿岸部は盛岡より寒く感じました。

大槌は町の至るところに花が供えられ家の跡地はまるでお墓のようです。

実家の跡にもありったけのお花、
津波で亡くなったひとは塩水飲んで喉が渇くんだそうです。

私達が行く前に誰ががお花とペットボトルの水を供えてくれておりました。



2D












写真は実家跡に流れついていた時計。

津波が襲った時間なんですね。


2DSC_0064












もう一枚は14:46。
マストの屋上からの写真です。

町なかで黙祷する人も沢山いました。

黙祷後、白い鳥が二羽、小鎚川から飛び立ちとても綺麗で哀しい光景でした。


・・・・

とのメール。

最後に

「チャリティーに参加された方や被災地を祈ってくれた方に感謝致します。」

とありました。

濱ちゃん、写真送ってくれて嬉しいです。ありがとう。


時間の区切りをなぜ貴重だと思ったのか。

誕生日や何かの記念日、そしてこの3月11日も

その日を忘れることはないけれども、

時間の区切りで立ち止まるとき、

忘れていた『思い』に

もう一度、気づいたんだと思う。



moriokayoga at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 23, 2011

大槌町へ

皆さまからいただいた雑誌、
無事、避難所になっている安渡小学校と、
釜石の在宅避難者の方に届けてきました。

本や、マンガはあっても雑誌がほとんどないとのことで、
喜んでいただけました。
ありがとうございました!

少しお話も聞くことが出来ました。
やはり、たくさんの方々との共同生活、
お聞きするといろんな問題があり・・・
私ではどうすることもできないようなことがほとんど・・・。

お聞きしたことは、役場のボランティアセンターを訪ね、
改善をお願いしてきました。

役場で私の窓口になってくれた方も体調を崩しているようで
咳が止まらない様子。

持っていた飴を差し上げ、お話しすると、
名古屋から派遣されて4月から来ている方でした。

来てもずっといられるわけではなく、何ヶ月かの入れ替わりなので
かえって迷惑をかけているようですみません・・・

などと謝られ、恐縮してしましました。

友人の罹災証明には
「〜じゃけんのう、」
と、広島の方だったり、

信号機のないところの交通整理は長野県警だったり、

豊中から来たって言ってたけど、豊中ってどこ?と友人に聞かれ、

名古屋の方じゃない、と答えた私。

今、調べたら大阪でしたっ!(汗)

他県から来られている職員の方々は、
被災していない私にも、本当に丁寧に、繊細に対応してくれます。

少しでも被災にあった県の人達の気持ちを汲もうと
されているようで、ありがたいなと思いました。


今回、とても嬉しかったのは、
友人のたくさんのアルバムが見つかったこと!

前回3枚だけ写真を見つけた場所にもう一度行ってみました。
友人の家の方面の物がその辺りでよく見つかるという情報があったので。

自衛隊が瓦礫撤去に入っていて、瓦礫が山をつくっているのですが、
アルバムや、バッグ類、名前が書いてあるものなど、
個人が特定できそうなものは、その山の前に集められています。

その集められた一番上に、
どっさりと置いてあったのです!

撤去に何年かかるかわからない、膨大な瓦礫の中から、
前回、3枚だけ見つかったとき、
奇跡だと思いましたが今回もまた。

友人も本当に喜んでいて
それを見ていて嬉しかった。

泥だらけになったアルバムを拭きながら、
写真を眺めました。

表紙に、お父さん、お母さんの名前、
生まれた場所、生まれた日、彼女の名前が丁寧に記されていました。

とてもたくさん、赤ちゃんの頃からの写真が収められていました。

彼女が大切に、大事に大事に育てられたその記憶が
収められていました。

彼女は、今、自分の実家も、
実家にあったたくさんの自分の物、
家族の物もなくなり、
たくさんの知り合いも亡くなり、
思い出の場所も、学校も、
町自体が何もなくなり、

そうなると、なんだか全部が夢のようで、

自分が生きているのかもわからないような

不思議な感覚になってしまう、

と、言った。



それに応える言葉を持っていない私は、

ただ聞くことしか出来ないけど

せめて、一生懸命聞きたいと思う。

moriokayoga at 11:40|PermalinkComments(2)TrackBack(0)