ヨーガ・スートラ
August 18, 2009
ヨーガ・スートラ 1-12
「現代人のためのヨーガ・スートラ」(グレゴール・メーレ著)を
少しづつ読み進めています。
難しいけど、わかりやすい・・・う〜ん、矛盾してますか?
でも最近、こういう矛盾のせめぎ合いにこそ、
人生の秘密が隠されている気がしています。
セラピスト石井裕之さんのお話に、
「何かをやろうと思ったら、『どうしても、どんなことがあってもこれを実現させるんだ!これじゃなきゃダメだっ!』という思いと、『でも実現しなくてもま、いっか。これじゃなくても、ま、いっか』という思いを、同時に持ち続けることが大事」
と、ありました。
これは、石井さんも話していましたが、聞くと簡単なようですが、
実際、どうしても何かをしたいと思っている時には気持ちが入り込んでいるので、誰が何と言おうと「ま、いっか」なんて思えないわけですよね。
実際、自分の体験に置き換えてみると、一度、大恋愛してえらい目にあったことがありますが、その時の自分って、
どうしてもこの人じゃなきゃイヤっ!
この人じゃなきゃダメっ!!
なんでっ?!
どうしてっ?!
って、はまり込んでいて、そんな時には誰がなんと言おうと
「この人じゃなくても、ま、いっか」なんては思えないわけです。
(例えがあまりよくないですね・・・)
でも、あの時の自分の状況を思い出すと言っている意味がよくわかります。
反対に、これからやりたいと思っていることで、
「出来なくてもまぁいいか」と思えることもいろいろありますが、それはよく考えてみると、「どうしても!!」っていう思いが足りないような気がします。
つまり、始めから、それは「実現できないかもね」「実現しなくてもまぁいいや」というスタンスであるような・・・。
何が言いたいのかというと、
ヨーガ・スートラの第1章11はこんな文章です。
『これらの心のはたらきの止滅は実践と離欲によって起こる』
ヨーガ・スートラの大前提として、
『ヨーガとは、心のはたらきを止滅すること』(1章2)とあります。
ここはたくさんの説明を要するところですが、すごく省くと、
心のはたらきを止滅すると、
「ヨーガスートラ」で書かれている
ヨーガを完成させることが出来る、・・・
ヨーガのサマディ(解脱)を得ることが出来る、
となります。
つまり、実践と離欲を行うことによって、
解脱に導かれると書かれているわけです。
「パタンジャリ(ヨーガスートラの作者)は、実践と離欲をともに実行することを勧めているのである。これら2つはある意味相反するものであり、矛盾して聞こえるだろう。実際相反すべきである。そうでなくては、心は何が起こっているのかを解明してしまい、それではまたもや現実の模倣でしかなく、真実そのものを見つけたことにはならないのである。」
(『現代人のためのヨーガスートラ』P.35より)
そうでなくては、・・・からの文章、いまいち私はよくわかってないのですが、
とにかく、矛盾したままでいいから同時にやれ!
と、解釈しました。
そしてそれは、石井さんが言っていたことに通じているような・・・。
ヨーガスートラで言っている実践(アビヤーサ)とは、
アーサナの練習はもちろんですが、あと7つ、
「ヨーガの8支則」と呼ばれるものがあります。
1、禁戒(ヤマ)社会生活の規範
2、勧戒(ニヤマ)個人生活の規範
3、坐法(アーサナ)
4、調気(プラーナーヤーマ)
5、制感(プラティヤーハーラ)
6、凝念(ダーラナ)
7、静慮(ディヤーナ)
8、三昧(サマディ)
この8つを、長い間、中断することなく、心を傾けて実践を続けなければいけない。
ヨーガスートラで言っている離欲(ヴァイラーギヤ)の対象となる欲望とは、
人として執着する可能性のある生活にまつわる衣食住や富や権力。
もうひとつは、ヨーガによる達成やヨーギの能力すべて。
サマディに到達したいという欲望です。
ということは、ヨーガの実践と離欲とは、
サマディに到達すべく、
ひとつでも実行することが難しい「ヨーガの8支則」を
長い間中断することなく頑張りながらも、
その、サマディに到達したいという思いを手放すこと。
「どうしても!」と、「ま、いっか」の法則は、
2〜4世紀に書かれた文献にすでに書かれていましたっ!
目的に向かって邁進しながら、
目的に到達したいとしがみつく手を離していく。
それを同時に行うこと。
どちらか一方の極端に走りがちな私にとって、とっても響きました。
少しづつ読み進めています。
難しいけど、わかりやすい・・・う〜ん、矛盾してますか?
でも最近、こういう矛盾のせめぎ合いにこそ、
人生の秘密が隠されている気がしています。
セラピスト石井裕之さんのお話に、
「何かをやろうと思ったら、『どうしても、どんなことがあってもこれを実現させるんだ!これじゃなきゃダメだっ!』という思いと、『でも実現しなくてもま、いっか。これじゃなくても、ま、いっか』という思いを、同時に持ち続けることが大事」
と、ありました。
これは、石井さんも話していましたが、聞くと簡単なようですが、
実際、どうしても何かをしたいと思っている時には気持ちが入り込んでいるので、誰が何と言おうと「ま、いっか」なんて思えないわけですよね。
実際、自分の体験に置き換えてみると、一度、大恋愛してえらい目にあったことがありますが、その時の自分って、
どうしてもこの人じゃなきゃイヤっ!
この人じゃなきゃダメっ!!
なんでっ?!
どうしてっ?!
って、はまり込んでいて、そんな時には誰がなんと言おうと
「この人じゃなくても、ま、いっか」なんては思えないわけです。
(例えがあまりよくないですね・・・)
でも、あの時の自分の状況を思い出すと言っている意味がよくわかります。
反対に、これからやりたいと思っていることで、
「出来なくてもまぁいいか」と思えることもいろいろありますが、それはよく考えてみると、「どうしても!!」っていう思いが足りないような気がします。
つまり、始めから、それは「実現できないかもね」「実現しなくてもまぁいいや」というスタンスであるような・・・。
何が言いたいのかというと、
ヨーガ・スートラの第1章11はこんな文章です。
『これらの心のはたらきの止滅は実践と離欲によって起こる』
ヨーガ・スートラの大前提として、
『ヨーガとは、心のはたらきを止滅すること』(1章2)とあります。
ここはたくさんの説明を要するところですが、すごく省くと、
心のはたらきを止滅すると、
「ヨーガスートラ」で書かれている
ヨーガを完成させることが出来る、・・・
ヨーガのサマディ(解脱)を得ることが出来る、
となります。
つまり、実践と離欲を行うことによって、
解脱に導かれると書かれているわけです。
「パタンジャリ(ヨーガスートラの作者)は、実践と離欲をともに実行することを勧めているのである。これら2つはある意味相反するものであり、矛盾して聞こえるだろう。実際相反すべきである。そうでなくては、心は何が起こっているのかを解明してしまい、それではまたもや現実の模倣でしかなく、真実そのものを見つけたことにはならないのである。」
(『現代人のためのヨーガスートラ』P.35より)
そうでなくては、・・・からの文章、いまいち私はよくわかってないのですが、
とにかく、矛盾したままでいいから同時にやれ!
と、解釈しました。
そしてそれは、石井さんが言っていたことに通じているような・・・。
ヨーガスートラで言っている実践(アビヤーサ)とは、
アーサナの練習はもちろんですが、あと7つ、
「ヨーガの8支則」と呼ばれるものがあります。
1、禁戒(ヤマ)社会生活の規範
2、勧戒(ニヤマ)個人生活の規範
3、坐法(アーサナ)
4、調気(プラーナーヤーマ)
5、制感(プラティヤーハーラ)
6、凝念(ダーラナ)
7、静慮(ディヤーナ)
8、三昧(サマディ)
この8つを、長い間、中断することなく、心を傾けて実践を続けなければいけない。
ヨーガスートラで言っている離欲(ヴァイラーギヤ)の対象となる欲望とは、
人として執着する可能性のある生活にまつわる衣食住や富や権力。
もうひとつは、ヨーガによる達成やヨーギの能力すべて。
サマディに到達したいという欲望です。
ということは、ヨーガの実践と離欲とは、
サマディに到達すべく、
ひとつでも実行することが難しい「ヨーガの8支則」を
長い間中断することなく頑張りながらも、
その、サマディに到達したいという思いを手放すこと。
「どうしても!」と、「ま、いっか」の法則は、
2〜4世紀に書かれた文献にすでに書かれていましたっ!
目的に向かって邁進しながら、
目的に到達したいとしがみつく手を離していく。
それを同時に行うこと。
どちらか一方の極端に走りがちな私にとって、とっても響きました。
August 13, 2009
古代の叡智
カルロス・ポメダ氏のタントラ講義の後、「ヨーガ・スートラ」をもう一度きちんと読みたいな・・・と思っていたところ、なんと!新訳本が出ていましたっ。
パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」は、
BC2〜4の間に、初めてヨガについてきちんと書かれた経典です。
(スートラとは、もともとは哲学を記した葉っぱに糸を通して冊子にするための"縦糸"の意)
私が読んだのは、佐保田鶴治先生の『ヨーガ根本経典』の中に入っているもので、初版が昭和48年。
言葉の使い方、文章がかなり難解で、はっきり言って全然理解できてないっス!
今回、この「現代人のためのヨーガスートラ」、
まだ最初の方をパラパラと読んでいるだけですが、
言い回しがわかりやすい!
2冊を比べるのは、解釈も違うということで意味のないことですが、
今またこの時代に、2000年以上前の書物の新釈版が読めるなんて、
なんて贅沢なんでしょう〜♪
ありがたいことです。
まぁ、言い回しがわかりやすければ理解できるかと聞かれれば、
全然そんなことはないでしょう。
なんせ、サマディへ至る道が書かれた実践の書です。
理解し、
実践し、
体現していかないと・・・。
死ぬまでに出来るのかな・・・フフフ(開き直りの笑いです)
少しづつ、丁寧に、この古代の叡智を、パタンジャリが書き綴った時間の流れも感じながら、読み進めていこうと思います。
1ページ目、著者、グレゴール・メーレの
「献辞」からすでに胸を打たれてしまったので、ご紹介します。
献 辞
ブラフマン、道(タオ)、神、本源など、
さまざまな名で知られてきたすべての師に、
そして、これらの名前がなくとも依然として、
無限で光り輝く、
力強くて静かで広大な〈空〉として私の魂に存在する、
すべての師に捧ぐ。
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パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」は、
BC2〜4の間に、初めてヨガについてきちんと書かれた経典です。
(スートラとは、もともとは哲学を記した葉っぱに糸を通して冊子にするための"縦糸"の意)
私が読んだのは、佐保田鶴治先生の『ヨーガ根本経典』の中に入っているもので、初版が昭和48年。
言葉の使い方、文章がかなり難解で、はっきり言って全然理解できてないっス!
今回、この「現代人のためのヨーガスートラ」、
まだ最初の方をパラパラと読んでいるだけですが、
言い回しがわかりやすい!
2冊を比べるのは、解釈も違うということで意味のないことですが、
今またこの時代に、2000年以上前の書物の新釈版が読めるなんて、
なんて贅沢なんでしょう〜♪
ありがたいことです。
まぁ、言い回しがわかりやすければ理解できるかと聞かれれば、
全然そんなことはないでしょう。
なんせ、サマディへ至る道が書かれた実践の書です。
理解し、
実践し、
体現していかないと・・・。
死ぬまでに出来るのかな・・・フフフ(開き直りの笑いです)
少しづつ、丁寧に、この古代の叡智を、パタンジャリが書き綴った時間の流れも感じながら、読み進めていこうと思います。
1ページ目、著者、グレゴール・メーレの
「献辞」からすでに胸を打たれてしまったので、ご紹介します。
献 辞
ブラフマン、道(タオ)、神、本源など、
さまざまな名で知られてきたすべての師に、
そして、これらの名前がなくとも依然として、
無限で光り輝く、
力強くて静かで広大な〈空〉として私の魂に存在する、
すべての師に捧ぐ。