タントラ
July 22, 2009
皆既日食とタントラ
お昼過ぎにお友達から、皆既日食の写真が携帯に届きました。
湘南に住んでいる友人から送られてきたものだそうで、
幻想的な暗闇が、まさに今、太陽を覆おうとしているところを
とらえていました。
思いがけない写真の贈り物に感謝です。
Mさん、ありがと!
![04[1]](https://livedoor.blogimg.jp/moriokayoga/imgs/4/1/4167ea1b.jpg)
夜に輝く、三日月のようにも見えます。
でも、
昼に姿を隠す太陽。
まったく別のものが、同じように見える写真。
そして、
同じものが、まったく別のことにみえることもあります。
おお〜、これこそ、週末に学んだタントラの世界!
タントラの中でも、ヒンドゥータントラの、
またその中の5つの学派のうちのひとつ、
『プラティヤビニヤ
・・・すでにあることをもう一度知ること。認識すること』
の部分を学んだのですが、そのタントラの考え方には
出来事には5つの行為があり、
その2つが、まさに今日の皆既日食、
『隠匿』と『啓示』
なんだなぁと思いました。
隠すことと、現れること。
忘れることと、思い出すこと。
収縮することと、拡散すること。
なぜ太陽は隠れるのでしょうか?
それは、
もう一度、気づくため。
もう一度、思い出すため。
もう一度、深めるため。
隠れること、忘れることは、もう一度気づく、
もう一度認識する喜びのためにある。
太陽が隠されていくことの神秘的な世界に、
そしてまた現れてくる輝きに、
それだけのことに、人々は、歓喜しています。
いつも出ている太陽が、一瞬隠れることで、
今までと違う神秘の世界を体験するワクワク感が生まれ、
また現れることによって、改めて、太陽の存在の美を認識できる。
隠れることと、また現れることの喜びは、
皆既日食の中にもあったんですね。
カルロス・ポメダ氏のワークショップ。
初めてのタントラ哲学の講義は、
奥深い哲学をわかりやすく・・・
というのは、決して社会学とか、宗教哲学、超神秘学みたいなものではなく、
私たちの生活にどう生かすかという視点から、
お話していただきました。
タントラ・・・どちらかと言うと、あまりいい感じではない
イメージが日本では強いと思います。
私も「タントラ」と聞くと、なぜか反射的にインドのカジュラホの遺跡・・・
男女のあまりにも開放的な彫像が
つい浮かんできてしまっていたのですが、
タントラの根幹を成す思想は
『すべては、究極的にはひとつである』
です。
すべてはひとつである。
この宇宙、世界は、ただひとつの『最高位の意識』からつくられた。
その意識とは、喜び。
意識という言葉の意味ですが、私たちが普段使うような、
意識して行動する、・・・などの意味ではなく、
私たち個人の、それぞれの意識ではなく、生きとし生けるものすべての意識、
「究極のひろがり」
のことです。
自分が感じられる感情や、
自分の意思だと思っている意識や、
これは、自分の身体だと思って体感しているものを
超えたところに、
私たちの本当の意識があって、
私たちの本当の本質があって、
それは、喜びというただひとつの『最高位の意識』のこと。
・・・だんだんわかんなくなってきましたね。
私もですっ!(汗)
続きはまた今度〜。
湘南に住んでいる友人から送られてきたものだそうで、
幻想的な暗闇が、まさに今、太陽を覆おうとしているところを
とらえていました。
思いがけない写真の贈り物に感謝です。
Mさん、ありがと!
![04[1]](https://livedoor.blogimg.jp/moriokayoga/imgs/4/1/4167ea1b.jpg)
夜に輝く、三日月のようにも見えます。
でも、
昼に姿を隠す太陽。
まったく別のものが、同じように見える写真。
そして、
同じものが、まったく別のことにみえることもあります。
おお〜、これこそ、週末に学んだタントラの世界!
タントラの中でも、ヒンドゥータントラの、
またその中の5つの学派のうちのひとつ、
『プラティヤビニヤ
・・・すでにあることをもう一度知ること。認識すること』
の部分を学んだのですが、そのタントラの考え方には
出来事には5つの行為があり、
その2つが、まさに今日の皆既日食、
『隠匿』と『啓示』
なんだなぁと思いました。
隠すことと、現れること。
忘れることと、思い出すこと。
収縮することと、拡散すること。
なぜ太陽は隠れるのでしょうか?
それは、
もう一度、気づくため。
もう一度、思い出すため。
もう一度、深めるため。
隠れること、忘れることは、もう一度気づく、
もう一度認識する喜びのためにある。
太陽が隠されていくことの神秘的な世界に、
そしてまた現れてくる輝きに、
それだけのことに、人々は、歓喜しています。
いつも出ている太陽が、一瞬隠れることで、
今までと違う神秘の世界を体験するワクワク感が生まれ、
また現れることによって、改めて、太陽の存在の美を認識できる。
隠れることと、また現れることの喜びは、
皆既日食の中にもあったんですね。
カルロス・ポメダ氏のワークショップ。
初めてのタントラ哲学の講義は、
奥深い哲学をわかりやすく・・・
というのは、決して社会学とか、宗教哲学、超神秘学みたいなものではなく、
私たちの生活にどう生かすかという視点から、
お話していただきました。
タントラ・・・どちらかと言うと、あまりいい感じではない
イメージが日本では強いと思います。
私も「タントラ」と聞くと、なぜか反射的にインドのカジュラホの遺跡・・・
男女のあまりにも開放的な彫像が
つい浮かんできてしまっていたのですが、
タントラの根幹を成す思想は
『すべては、究極的にはひとつである』
です。
すべてはひとつである。
この宇宙、世界は、ただひとつの『最高位の意識』からつくられた。
その意識とは、喜び。
意識という言葉の意味ですが、私たちが普段使うような、
意識して行動する、・・・などの意味ではなく、
私たち個人の、それぞれの意識ではなく、生きとし生けるものすべての意識、
「究極のひろがり」
のことです。
自分が感じられる感情や、
自分の意思だと思っている意識や、
これは、自分の身体だと思って体感しているものを
超えたところに、
私たちの本当の意識があって、
私たちの本当の本質があって、
それは、喜びというただひとつの『最高位の意識』のこと。
・・・だんだんわかんなくなってきましたね。
私もですっ!(汗)
続きはまた今度〜。