May 23, 2011

大槌町へ

皆さまからいただいた雑誌、
無事、避難所になっている安渡小学校と、
釜石の在宅避難者の方に届けてきました。

本や、マンガはあっても雑誌がほとんどないとのことで、
喜んでいただけました。
ありがとうございました!

少しお話も聞くことが出来ました。
やはり、たくさんの方々との共同生活、
お聞きするといろんな問題があり・・・
私ではどうすることもできないようなことがほとんど・・・。

お聞きしたことは、役場のボランティアセンターを訪ね、
改善をお願いしてきました。

役場で私の窓口になってくれた方も体調を崩しているようで
咳が止まらない様子。

持っていた飴を差し上げ、お話しすると、
名古屋から派遣されて4月から来ている方でした。

来てもずっといられるわけではなく、何ヶ月かの入れ替わりなので
かえって迷惑をかけているようですみません・・・

などと謝られ、恐縮してしましました。

友人の罹災証明には
「〜じゃけんのう、」
と、広島の方だったり、

信号機のないところの交通整理は長野県警だったり、

豊中から来たって言ってたけど、豊中ってどこ?と友人に聞かれ、

名古屋の方じゃない、と答えた私。

今、調べたら大阪でしたっ!(汗)

他県から来られている職員の方々は、
被災していない私にも、本当に丁寧に、繊細に対応してくれます。

少しでも被災にあった県の人達の気持ちを汲もうと
されているようで、ありがたいなと思いました。


今回、とても嬉しかったのは、
友人のたくさんのアルバムが見つかったこと!

前回3枚だけ写真を見つけた場所にもう一度行ってみました。
友人の家の方面の物がその辺りでよく見つかるという情報があったので。

自衛隊が瓦礫撤去に入っていて、瓦礫が山をつくっているのですが、
アルバムや、バッグ類、名前が書いてあるものなど、
個人が特定できそうなものは、その山の前に集められています。

その集められた一番上に、
どっさりと置いてあったのです!

撤去に何年かかるかわからない、膨大な瓦礫の中から、
前回、3枚だけ見つかったとき、
奇跡だと思いましたが今回もまた。

友人も本当に喜んでいて
それを見ていて嬉しかった。

泥だらけになったアルバムを拭きながら、
写真を眺めました。

表紙に、お父さん、お母さんの名前、
生まれた場所、生まれた日、彼女の名前が丁寧に記されていました。

とてもたくさん、赤ちゃんの頃からの写真が収められていました。

彼女が大切に、大事に大事に育てられたその記憶が
収められていました。

彼女は、今、自分の実家も、
実家にあったたくさんの自分の物、
家族の物もなくなり、
たくさんの知り合いも亡くなり、
思い出の場所も、学校も、
町自体が何もなくなり、

そうなると、なんだか全部が夢のようで、

自分が生きているのかもわからないような

不思議な感覚になってしまう、

と、言った。



それに応える言葉を持っていない私は、

ただ聞くことしか出来ないけど

せめて、一生懸命聞きたいと思う。

moriokayoga at 11:40│Comments(2)TrackBack(0) daily life 

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この記事へのコメント

2. Posted by moriokayoga   May 24, 2011 15:04
松崎さん

コメントありがとうございます。
もちろん、憶えています!
大槌だったんですね。
住所頂いていたのに気づかず、すみませんでした。

本当に、この2ヶ月、大変な思いで過されていると思います。
言葉もありません・・・。

書くのも辛くなってくると思いますが、
詳しく伝えてもらって本当に嬉しいです、
ありがとうございます。

大槌はこれから何度も行くと思うので、
いろいろお話したいです。
個人的にこちらからメールします。
1. Posted by takka松崎   May 24, 2011 13:31
お久しぶりです。
去年の夏頃から半年ほど土曜日のビギナークラスに
通っていた松崎です・・・覚えておられますか?

実は私も大槌在住で、自宅は役場のすぐ側でした。
もちろん家は跡形もなく流され、今も釜石市の小学校体育館で避難生活をしています。

突然何もかも失い、先が見えない状態の中で不安だらけの避難生活も2ヶ月を過ぎました。

私は幸いなことに母や近しい親戚もみんな無事で、
最初は「命あるだけでラッキー」と思って、気持ちの浮き沈みはありましたが、何とか1日1日を精一杯頑張って過ごしてきました。

最初は家が流され全てを失ったことへの虚しさ、この先の生活への不安、避難所での日々の暮らしの不便さ、毎日が辛くて憂鬱で壊れそうになった時期もありました。
でも…まわりの友人知人達の優しさや善意にふれ、毎日毎日感謝する日々でもありました。

今はとりあえず仮設住宅の入居を一日でも早く、と願う日々ですが、行政の“結果と面子”を保とうとする対応に怒りと絶望でやりきれない思いです。

北村先生が大槌にいらっしゃってくれたことに感謝すると同時に、もし来町を知っていたなら何かしらのコンタクトを取ってお会いしたかったなぁ〜、と残念でなりません。
…とは言っても、私も日中は仕事をしているので実際は無理だったかも知れませんが(^^;;

母や叔母が盛岡の温泉旅館に一時避難をしているので、週末は私も毎週盛岡に行っています。
せっかく盛岡に居るんだからヨガにも行きたいなぁ〜と思いつつ、どこか心に余裕をもてないんでしょうか・・・なかなか足を運ぶことが出来ないでいました。

これを機会にまたスタジオの方に足を運んで、こういう時だからこそ、ヨガで心と身体のリフレッシュ
をするべきですよね(^^)

長々とした文章になってしまいゴメンナサイ。
そして、最後にまた・・・本当にありがとうございました。



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