June 23, 2008

なぜ「ウパニシャッド」か

「ヨーガスートラ」といわれる本が、ヨーガについて最初にある程度詳しく書かれた最初の本と言われ、BC400〜500の間に出て、ヨーガの教科書と言えば、一般には、この「ヨーガスートラ」のことを指します。

私もザーッと目は通しました・・・。なかなか読みづらいです。そして最終的には、私がまだまだ体験してないようなことが、いろいろ書かれてますので、ふ〜む・・という感じです。

この本を読むだけで大変ですが、小山先生曰く、「ヨーガスートラ」を理解するためには、それがどういう背景で書かれたのか、編纂者のパタンジャリが何を勉強していたのか、どういう学説がバックボーンにあって、どういう修行を周りの人たちはして、どういう影響を受けて、それが「ヨーガスートラ」にどう反映されているのか。

それを知るために、「ヨーガスートラ」以前に出ていた本を紐解かなければならない。

ということで、さかのぼるとBC1200〜500の間に編纂された、インドのバラモン教典
「ヴェーダ」に行き着き、その中でも、ヴェーダの最終学問、「ウパニシャッド」に、ヨーガの基本的な考え方が既に載っているとのこと。

先週末の講義は「ウパニシャッド」の中でも、ヨーガの定義がズバリ書かれているという、小山先生曰くヨガをする人たち必読の書、「カタ・ウパニシャッド」でした。

こんなこと言うとなんですが、佐保田鶴治先生訳の、平河出版の「ウパニシャッド」は、はっきり言って読めません・・・訳があまりにも・・・で。

中央公論社「世界の名著1」の中に入ってる「カタ・ウパニシャッド」の方が、断然面白く読めます。そして実際とても面白いです。ヨガに興味のある方は、一読の価値あり。詩のようです。

2500年くらい前に書かれ、定義されていたヨガという歴史の流れの中のほんの片隅にいると思うと、まだまだ解き明かされていない、謎の、奥深い、その深遠の扉を、自分も理論ではなく、体感することで開けてみたいと、講義を聴くたびに思うのですが・・・遠い道のりですね。

でも小山先生もよくおっしゃるのですが、山を登るのに、道端に咲く花の美しさを愛でたり、そよぐ風の気持ちよさを感じないのはもったいない、ということで、ゆっくりと、登る過程を楽しみながら、登る速さも人それぞれですよね、マイペースで毎日ヨガを楽しんでいきたいと思います。



『カタウパニシャッド』より


聡明な者(アートマン)は生まれもせず、死にもしない。これはいずこから来たのでもなく、また誰かになったこともない。

この太古以来のものは、不生、恒常、永遠であって、たとえ身体が傷つけられても傷つけられはしない。

殺害者が殺そうと思うならば、殺された者が殺されたと思うならば、彼らはともに(アートマン)を理解していないのである。これ(アートマン)は、殺しもせず、殺されもしない。

原子よりもさらに微さく、大きいものよりもさらに大きいアートマンは、この世の被造物の胸奥におかれている。祭祀を超越した者は、憂苦を離れ、創造神の恩寵によって、そのアートマンの偉大さを見る。

(アートマン)は座っていながら遠くにおもむき、伏していながらあらゆるところに至る。歓喜でも非歓喜でもあるその神を、私以外の誰が知ることが出来ようか。


身体の中にあってからだの中になく、不安定なものの中にあって安定している―と、偉大な、偏在するアートマンを(このようなものと)考えて、賢者は憂いをもたない。  


このアートマンはおしえによっては得られない。知性によっても、聖典を広く学ぶことによっても。これ(アートマン、すなわち神)が、選ぶ人によってのみ、それは得られる。その人にこのアートマンは自らすがたをあらわす。



moriokayoga at 23:08│Comments(0) yoga 

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