October 14, 2011

「紅梅」

美しい小説を読みました。

9784163806808
癌であった作家吉村昭さんの晩年の闘病の日々を、妻であり同じ作家である津村節子さんが綴った私小説。
震災後、吉村昭さんが岩手にとても縁の深かった人だったことを知り、
『三陸海岸大津波』を読み、文芸春秋の特集で彼が癌で死んだことを知り、
身内に末期癌患者がいることもある経緯で手に取ってみた。




淡々と静かに書かれていてスルスル読めていく。
純文学というものをほとんど読まないがやはり、文章がうまいのだと思う。

あまりに淡々と話が進むので、
そしてその日常の何気ない二人のやりとりの描写に引きつけられて、

吉村昭さんがどうやって死んでいったのか知っていたのに、
そのことをすっかり忘れて小説と同じ時系列の中にいた。

そしたら急に、最後の数ページで
ミステリー小説のどんでん返しのような衝撃で彼の死の場面がやってくる。

夜中に読んでいて、声を上げそうになった。


この人は闘病の間、どうやって生きようかと思っていたのではなく、

どうやって死のうかを考えていたんだと・・・。


新作の短編を最後まで推敲している姿や
コーヒーとビールが飲みたいと一口含んで
「おいしい」と言った外の姿だけを読み進んでいたら
その日の夜、吉村昭は突然自死を選ぶ。

その意志的な死を現実に行動することによって、
オセロが全部ひっくり返ったように、
それまで見えなかった彼の思考世界が現れてくる。

そして、お互いを気遣う距離感がとても良い感じで
好感を持って読み進めてきた夫婦愛の中に、

どうしても相容れない個としての孤独というものを突きつけられた。



表紙は円山応挙の「老梅図」とある。

美しい装幀だなと思う。装幀は関口聖司さんという方。

ちょっと寂しい。

紅梅は吉村昭が好きだった木だそうだ。

凛とした孤独がある。


それにしても、最愛の人の自死を受け入れて
生き続けていく津村節子さんの孤独も
どれほどのことだろうかと思う・・・。

でも、淡々とした静かな筆致に、
彼女の個人の孤独も美しく、凛と、光り輝いている。

津村節子が、吉村昭の死の最後に
無我夢中で叫びかけた言葉がある。
本人はまったく記憶になくて、
あとでそばにいた娘から聞いたらしい。

小説の中で彼女は
「あなたを愛しているわ」でも、
「私もすぐ行くから、待っていて」
でもない、そんな言葉を夫は喜んで聞いただろうか、
と自責の念にかられている。

私はその一言を、素晴らしいと思う。

それは感情を超えた、

夫婦それぞれが持つ孤独を超えた、

作家同士が夫婦となった、魂と魂のつながりから出た一言だと思うから。

(これから読む方のためにあえて明記は控えます。)

moriokayoga at 23:26│Comments(0)TrackBack(0) 本のこと 

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