September 01, 2011

被災者とボランティアと

28日の日曜日にまた被災地へ行き、
住田町の仮設住宅と遠野のボランティアセンターでヨガをしてきました。

毎回のことですが、遠野のまごころネットの茂木考子さんには
本当にお世話になりました。ありがとうございます!
活動の報告はまた後日します。


今回も友人Hさんと一緒に行きました。

日曜日に2カ所でヨガをして
翌日の月曜に彼女の実家があった大槌町に考子さんと3人で入り、
Hさんのお墓参りをした。

全壊して何もない、Hさんの家があった場所にも花を手向けた。

H家のお墓は安渡小学校に行く道の山のトンネルの上にあります。

眼下に大槌町の海岸線を一望できる素晴らしい場所。

でも今、瓦礫も撤去されつつあると本当になんにもなくて、
壊れた堤防からすぐ波が襲ってくるような
荒れた平地が続いている。
そこに又しても自然の力を誇示するように、
雑草が勢いよく生い茂っているのだけれど、
でもその草の緑は眩しくて、
今度は大地の荒涼感を癒やしてくれている・・・。

海が広がり、まわりを山々に囲まれて見晴らしのいい、
本当に素敵な場所だったんだろうな・・・

私は震災前の大槌町を知りません。
なんで・・・どうして私は一度でもここに、
震災前に来ておかなかったのだろう・・・

素晴らしかったに違いない、ここからの大槌町を眺めて見たかった。

いつもいつも、大槌町に入ると悔やみます。

でも、それ以上に、

一日何万回もの「なんで?」を繰り返している、

震災後、何百万回もの「どうして?」という、
答えのない問いを繰り返し過ごしているHさんが

遺骨のないお母様のお墓を清め、水を手向けていた。

7月末に、お母様とお祖母様のお葬式をすることになったと聞いた時、
私は多分わかっていなかった。

遺骨のないお葬式の哀しみの深さを。

それがどれだけ悲しくて、辛くて、悔しいことかを。

彼女が口にして、涙をみせて、初めて、
その哀しみのほんの一端に触れた気がした。

そして気が遠くなるような、
深くて真っ暗な闇の入り口を垣間見た気がした。
でも、私にはきっと本当に知ることはできない。


行方不明のままお葬式を行うということがどれだけ無念なことなのか。

遺骨のないお墓で供養するということがどんなに悲しいことなのか。

どんな最後だったかを想像することがどんなに辛いことなのか。

何かできなかったのかと悔やむことがどんなに本人を鞭打つものなのか。

どうしてこんなことになったかと問うことがどれだけ悔しいことなのか。

悲しみはどこまでも深くて、

諸手続が少しづつ済んでいくとともに、

これからその悲しみと真正面から向かいあうことになる彼女がいる。

本当の哀しみがこれから始まることを

私はわかってあげられなかった。

もちろんわかるなんておこがましいし、
そんなことなんて出来ないんだけど、

今回の震災はあまりにもたくさんの人が被害に遭って、
かえって一人一人の悲しみの深さに目を向けてない
自分がいることにも気付かされた。

Hさんはたくさんの被害に遭った人たちの一人じゃなくて、
この世に二つとない大切なものを失って、
そしてどう周りがサポートしようが、どうやったって
一人でしか乗り越えられないものをもこれからも抱えて
いかなければならない。

Hさんだけの鮮やかな記憶の中の故人と家と故郷が詰まった
でも抱えていくにはあまりにも重い哀しみ。

だけど彼女はいつも明るくて、
震災前と変わらず振る舞ってくれるから、
そして今までそんなこと一切話さなかったから、
私はいつも、ついつい彼女が被災者であることを忘れてしまう。

私はボランティアと言いつつも、
こんなこと書くと語弊があるかもしれませんが、
瓦礫撤去でクタクタになるまで汗をかくわけでもなく、
いろんなところへ行き、
いろんな人と出会いがあり、話を聞き、
学びになる方が多く、
なんだか、受け取るものの方が多いようにも思っている・・・。

被災者とボランティアの温度差。

ボランティアの取り組みとそれを受け取る側のギャップ。

仮設住宅での生活にシフトした今、
ボランティアと被災者との間で、小さな、
さまざまな行き違い、すれ違いがあり、
ボランティア側も今一度仕切り直さなければならなかったりと、
その活動を模索中だということも知った。

被災者側の気持ちをついつい忘れてしまい、
流れの中で、自分たちの計画を進めてのクレームもあるとか。

Hさんもいろんな場面で、そういう温度差を感じ続けているんだと思う。

でも立場は違っていても、お互い今回の被災に
関わり合っていきたいと思っている。

だからもっともっと模索していきたいし、
彼女の話ももっと聞きたい。

日曜の夜、遠野で活動してるもやいのみんなと飲みながら、

Hさんがポツポツと、そういうギャップのことや
大槌町の復興のことを話した。

そして、自分のことも。

彼女はもともと自分の内面を好き好んで吐露する人じゃない。

でもあの夜、

つらくて、悲しくて、苦しくて、悔しくて、
悲惨で、どうしようもなく、壊れそうな自分の気持ちも

ほんの少しだけ話してくれた。

みんなで話を聞いて、

みんなで泣いた。

考子さんは一生懸命、いろんないい話をしてくれた。

「お母さんもお祖母さんも絶対苦しんだりして死んでないから大丈夫だよ」
と、力強くHさんに語りかけていた。

Hさんも大きく頷いていた。


そんな風にして一日が過ぎた。



私たちがもし大河の一滴ならば、

今ここにある、ものすごい哀しみの濃度の一滴も、

何万回も話したり、

何万回も聞いたり、

何万回という月日が過ぎたら

少しは薄まってくれるのでしょうか。


きっと、海にはそれくらいの浄化の力もあると信じていたい。









moriokayoga at 01:31│Comments(4)TrackBack(0) 震災後のこと 

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この記事へのコメント

4. Posted by moriokayoga   September 20, 2011 07:44
さんちゃんさん

> 三日間、ごくろうさまです。
> ヨガ、必要だと思います。

ありがとうございます。

> 担当するイベントのチケットも、沿岸部で販売していいものか…軽薄に映るのでは…となやんだことがありましたが、意外な反応!

そうなんですよね。
動いてみないといろいろなことがわからないですよね。

これからもお互い悩みは多いと思いますが、
何かしら関わっていきましょう。

3. Posted by さんちゃん   September 17, 2011 11:07
三日間、ごくろうさまです。
ヨガ、必要だと思います。

目の前に広がる光景、見えない将来…考え出せば気持ちがふさぐ一方かと思います。

そんなとき、少しでも非日常の空間に行けたなら…ほんの少し、心が救われる気がします。

担当するイベントのチケットも、沿岸部で販売していいものか…軽薄に映るのでは…となやんだことがありましたが、意外な反応!

その時、辛いときだからこそ憩いはあった方がいいのだな…と感じました。
2. Posted by moriokayoga   September 17, 2011 08:43
さんちゃんさん、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。

「本当に、役に立ててるのかな」という自問自答の気持ち、
私もまったく同じです。

そして今は、役に立ててなくてもいいや・・・とも思っています。
行った方が、迷惑かもしれませんし、
行って出会ったどなたかを、それとは知らず傷つける言動をしているのかも知れません。

今日からまた3日間、行ってきますが、
大体にして、ヨガなんて必要ないのかもしれませんし・・・。

でもそんな自問自答を繰り返すことが、

自分自身のこととして、被災地に関わっていることにもなるのかと
思っています。

本当に、今回の震災は
私たちにいろんなことを問いかけてくれていますよね。

お互い、いっぱい悩みましょう。

1. Posted by さんちゃん   September 16, 2011 17:52
すっかり御無沙汰しています。
先生のブログを拝見して、深く考えさせられました。
私も2度、会社の組合活動で大槌町に行き、写真洗浄や泥かきのお手伝いをしました。
なかなか現地の方としっかりお話しすることはなく、「本当に、役に立ててるのかな」と自問自答しながらの活動でした。
震災から半年がたちましたが、継続的に弊社では活動を続けています。
来月また参加するつもりですが、やはり自問自答は続きます。
自分がもし、相手の立場だったら…想像してみますが、なかなか答えが出ずにいます。

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