June 19, 2011

想像力の筋トレについて

先週金曜日の朝日新聞の一面の2/3くらいに

『被災3ヶ月 緊張・疲れ
大槌の安渡小避難所 24時間ルポ』

が載っていました。
記者が1週間その避難所わきのテントで暮らし、
避難者と食事を共にし、一週間を一日に再構成した記事との
説明がありました。

友人のお母様が避難していて、私も行った場所です。
お話も聞いてました。
興味深くその記事を読みました。

記事はルポというくらいですから、朝4時の起床から
何時間かで区切り一日の皆さんの様子と、
それぞれの状況の声を名前入りで伝えてました。

なんだか・・・・

私が行って、感じたものと全然違いました。

当たり前といえば当たり前、私は私のフィルターで
外の世界を見ているし、
そのルポは取材した記者の方のフィルターが通っている。

でも、

新聞一面のほとんどを使って、


・・・何も書かれてないって感じた。


ああ、そうか、

新聞記事って、こういうことなんだ・・・

事実は書かれてあるかも知れないけど、

何も書かれてないんだ、

って、改めて目からウロコでした。

ちょっとショックです。

何がショックかというと、
今まで新聞などを読んで
わかった気になっていた自分にショックを受けました。

多分私は福島の原発のことなどはこんな風に
詳しく現地の人の声も交えて伝えている新聞などを読んで、
そうか〜、と、なんとなく書いてあることに納得して
そこで終わっていたんだと。。。

もちろんすべてを分かった気になっていたわけではないけれど、
それでも新聞やテレビの情報を通して、
そこでなんだかわかった気になっていたんだと思い知らされました。

でも自分が実際行って、いろんな問題の一端を聞いてきたものとしては、
突っ込みどころ満載って感じで・・・

突っ込みながらもこの違和感はなんだろうと
2度3度と読んでみた。

嘘が書かれているわけじゃない。

繰り返し読むとまったくその通りでもある。

そして、

悪いのはこの記事を書いた記者ではなく(当たり前ですが)
私なんだと思った。


『形に現れるものと現れないものが共存する』

ヨガのタントラ哲学です。

書かれた記事の言葉から、

書かれていない行間をどれだけ読み取るのか。

私はたまたまこの記事の書かれていない行間を
現地に行ったことで知っただけ。

でもいつも現場に行くことはできない。

それなら何でそれを補うのか。


想像力。

一週間のうちのどこか一日の食事のメニューが写真で載れば、
なぜか平均的にこのような食事をされているだと刷り込まれる。

「大雑把にやろうで乗り切ってきた」とリーダーの方が言えば
それがみんなの声になる。
声にならない声は、声に出してないんだから聞こえない。

まっとうに見えて、納得させられる書かれていることの
合間から、書かれてないことを掬い上げることなんて
自分に出来るんだろうか??

新聞、テレビ、ネット、
明らかに自分より頭の良さそうな人達が
自分の知らない言葉も使って説得してくる合間から
その裏にあることを見定めることなんて
自分に出来るんだろうか??

でも想像力も筋肉と一緒だって誰かが言ってました。

鍛えれば力がついてくるって。

筋トレが苦じゃない私には納得できる一言です。

moriokayoga at 17:20│Comments(2)TrackBack(0) 震災後のこと 

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この記事へのコメント

2. Posted by moriokayoga   June 22, 2011 09:30
イワサキさん

コメント嬉しいです、ありがとうございます。

本当にたまたま現地に行ったことがあって感じられたことでした。
私もほとんどの情報に対して無防備です・・・

> 全てを知ることは不可能だけれど、表面をなぞっているだけだという自覚は持っていなきゃと思いました。

本当にそう思います。


1. Posted by イワサキ   June 22, 2011 08:52
お疲れさまです。
朝日新聞の記事は私も特に違和感なく読んでいたので、北村さんの「ショック」というのがショックでした。
自分は常に情報の表面をさーっとなぞってるだけなんだなあと...
全てを知ることは不可能だけれど、表面をなぞっているだけだという自覚は持っていなきゃと思いました。
気づかせていただきありがとうございました。

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